SCENE88
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の要望に応えて学部・学科の開設・改組を行い、それに伴い施設・設備も拡充しました。一方で、「クリスタルカフェ」や「クラブハウス」の建設など、キャンパスのゆとり空間の充実にも努めてきました。大学運営が厳しい社会状況のなかで、入学志願者数が減らず、むしろ年を追うごとに増えているのは、改革が社会的に評価されているのだと思います。   と考える女子の願いをかなえる学校はありませんでしたので、中森は「京都女子手藝学校」を創設したのです。私たちは彼の私学教育への志と情熱を大切に引き継ぎ、それを現代に活かしていきたいと考えています。 大学は、2005年に男女共学となり、大学名を京都橘女子大学から京都橘大学へ改称しました。それ以降を「改革と発展の10年」と位置づけて、従来とは異質な教学要素を積極的に取り込んで活性化を図ってきました。社会からの人材育成 本学園は、中森孟夫により1902年に「京都女子手藝学校」として創設されました。中森は、“学ぶ志を持つ若者の学習意欲に応える”という教育的見地から、「実学で社会に貢献する」ことを建学の精神としました。創設当時は日本の産業が大きく発展した時期で、高い技能を身につけた男女の働き手を多く必要としていました。しかし、将来、経済的に自立したい時代の変化に合わせて、「実学で社会に貢献」を実現7568CULTURAL SPACE QUEST 04

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